住まい
park cityには1980年ごろ以前には建築基準法となるようなものがなく、築30年以上のものは当時の設計屋さんの思うがままだったとの話を聞きました。新たな我が家は1960年頃築です・・・。
周囲のお金持ちのセカンドハウスに比べると幾分古めかしいこの一画、家の中に入ると、平行感覚を失います。華奢な基礎で斜面に建設されているからなのか、家が傾いているのです。
でも「住めば都」、趣のあるこの住宅、これからよろしくお願いします。
park cityには1980年ごろ以前には建築基準法となるようなものがなく、築30年以上のものは当時の設計屋さんの思うがままだったとの話を聞きました。新たな我が家は1960年頃築です・・・。
周囲のお金持ちのセカンドハウスに比べると幾分古めかしいこの一画、家の中に入ると、平行感覚を失います。華奢な基礎で斜面に建設されているからなのか、家が傾いているのです。
でも「住めば都」、趣のあるこの住宅、これからよろしくお願いします。
半年ぶりにアメリカ、ユタへ戻ってきました。今回も3カ月の滞在ですが、今回は今後の拠点のためにも、住居を始めとする生活スタイルを築く3か月になる予定です。
まだ夏の暑さ残る日本の今年10月の気温から、一挙に冬の入口にあるパークシティへ。住まいを構えるユタ州パークシティという町は州都のソルトレークシティーの東部にある小さな町で、2002年の冬季オリンピックで知られる町、標高約2100m、日本で言うと、岩手や秋田と同緯度の町です。
最終作業を終えた後、帰宅すると今日の食事当番の学生がpartyの準備をしていてくれました!私のここでの最後の食事ということもあり、「アメリカ式家庭の味」を用意してくれました。メニューは「ハンバーガー」と「甘いもの」、まさにアメリカンフードです。
風もやみ、気持ちのいい夜だったのでみんなでこのまま火を囲み、楽しい最後の夕食を楽しみました。色々なメッセージもプレゼントされ、みんなとのお別れがつらくなりました。3か月も一緒にいると、それぞれがどういう個性の学生なのか、何となくわかってくるので、今後みんなが大学院を卒業してどんな道に進むのか楽しみです。みんな本当にありがとう~。
私の作業最終日の本日は晴天なものの、強い春風が吹いていました。ただ、今回の作業TRIPの目標でもある「外壁作業完了」を目指して、学生たちは頑張ります。
1月に作業を始めたころには、寒さと戦うのが大変だったこの現場も気付けば春。3カ月経って何もなかったところにここまでの建物を建てることができたことに改めて驚きを感じました。inch単位での寸法取りから始まり、2×4をバシバシとネイルガンで組み建てていくアメリカ式の作業に最初は戸惑いましたが、今ではすっかり慣れました。
結局、ほぼすべての工具、材料をホームセンターで購入できるものだけで建てるころができたことからも、アメリカでは日常のなかに「自分の家を自分でいじる」という文化が根づいているんだと気づかされました。その他にもたかが3カ月でも、アメリカ文化のいいところ、悪いところ、日本との違いを様々学ぶことができた今回の旅は今後の自分の力になりそうです。
あとは、残りの学生達の頑張りに期待をして、YANITOさん一家がこの家で笑顔で暮らしてもらうことを願うばかりです。
残り作業2日。ただ空はずっしり雨雲が広がり、気温もあがりません。強風もあり、外作業が厳しい今日は室内作業が中心になります。内装の仕上げが本格的に始まる前に電気・設備配線を終わらせる必要があります。骨組みである2×4に次々に穴をあけ、いたるところに配線ガ張り巡らされていきました。
今日はみんなで行う最後の左官日和となりました。近くでとれる赤い粘土の色を活かしたEARTH PLASTERで仕上げを行います。これまでいつも手伝ってくれたBLAKEとHANNAを中心に順調にすすみました。最後には今回の記念にみんなのハンドプリントを仕上げに施して完了!ちょっとした打ち上げ気分です。
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